よき経営者の姿

伊丹敬之氏の「よき経営者の姿」を読んだ。


○性弱説
特に印象に残ったのが、この性弱説だ。この前、1/24
のときだ。そのとき性善説性悪説かみたいな話をし
ていた。Nさんは性善説なのだが、僕自身のことを考え
てみると、性善説性悪説も両方とも真だと考えてい
たから「僕はニュートラルです。」と言ってたのだ。
でもその答えがここにあった。人は性弱説なのだ。
要は、人間は「性善なれども、弱し」という存在なの
だ。


○経営とは
経営とは他人を通して事をなすこと。


○優良企業の定義
伊丹氏の優良企業の定義は「六割の人がきちんと自分
の仕事を行っている企業」だという。これもすごく共
感した。たぶん、普通の人の感覚で言ったら、六割で
は少なすぎるだろう、と思うはずだ。でも、僕自身も
六割まともだったら企業はだいぶまともだと思う。な
ぜなら今の組織なんかで言ったら、一割もまともに仕
事していないからだ。もう少し大きな組織でみても、
それこそ二割、三割じゃないかしら。もちろん、仕事
をしている本人たちは自分はちゃんと仕事をしている
、と誰もが胸を張っていうはずだ。そこが難しいとこ
ろだ。そういう意味でいうと、六割というところを、
組織として目指すべき一つのハードル据えるのはよい
のではないだろうか。それと大切なのは仲間とこの感
覚を共有することだろう。六割といったところで、人
それぞれ感じ方は変わるはず。そういう価値観のすり
合わせが大切なのだ。


○理に情を添える
松下幸之助氏の言葉を引き合いに出している。「経営
を進めて行く時に大事なのは、事に当たってまず冷静
に判断すること、それから情を添えることやな。この
順番をちゃんとわきまえておかんと失敗するんや。」
合理と情理、両方とも大切だ。でも、先んずべきは論
理である。情が先んずるようになったら経営者はやめ
るべきだ。そういう意味で僕は学生時代、サッカーの
最後の試合のメンバーを決める際、情を優先させた。
その判断に後悔はないが、でも、もしかしたらそれが
自分の本質なのかもしれない。そうであるならなおさ
ら、この言葉は心に刻み込む必要がある。


○経営者は育つもの
たしかに伊丹氏の言うように、自生であり自育なのだ
。経営者は、育てるものではなく、育つものである。
だから、僕自身も誰かに育ててもらうのではなく、結
局は自分で育つしかないのだ。


○「いい人」
日本の組織は「いい人」が多いために、あちこちに気
配りが多くなる。そのうえ、「いい人」は何かを切る
ことをいやがる。切られて出る血を見たくないのであ
る。気配りで増え、切らないから以前からの仕事も減
らないのである。仕事が増えれば、一つの仕事にかけ
られる時間は減る。その結果、一つ一つの仕事は遅く
なるうえに、その仕事をやりながら考えるヒマがなく
なる。第二に、それでも組織は仕事をこなす必要があ
るから「できる人」に多くの仕事をまわして、処理し
てもらいたくなる。それでも、悪平等的な表面の繕い
や気配りを忘れない。多くの仕事がまわったうえにそ
うした繕いもさせられる「できる人」はオーバーロー
ドになり、彼らがすり切れる危険が大きくなる。こう
して考えるコアたるべき人材が育たない。あるいは彼
らが考えるヒマをもてない悪循環が続いていく。誰か
がこの悪循環を切らなければならない。誰かが、過大
な仕事を切って、悪平等をやめさせなければならない
。誰かが考えるべきヒマを考えるべきコアたちにあえ
て作ってやる必要がある。