目も前に集中→報われる

がんばれ社長!のメルマガにあった文章。




日々、目の前のことに集中して精進すれば必ず将来報
われる、というのが持論の社長がいたが、私は反対だ
。そうした考えでは、「木を見て森を見ず」になる恐
れがあると思う。
「散歩していたら偶然、富士山の山頂に着いていた」
という人はいない。やっぱり富士山に登るには「登る
ぞ!」という意思と念入りな計画が必要なのだ。






これもその通りだと思った。
目の前にわき目も振らずの集中した結果、道が開ける
というのは、ある程度レールがある世界の話だと思う



かつての製造業だったら、与えられた部署で頑張り、
技術を学び、製造を学び、品質を学び、営業を学び、
そうして一通り製造業の基本を学ぶと事業部長になれ
る、というものだった。


また、大工さんなんかはそういう世界のような気もす
る。立派な大工さんになるためには、小さな技術をコ
ツコツと磨かないといけない、その先に立派な大工さ
んという道が切り開かれていく。というか、そういう
細かいことをおなざりにしてしまうと、経験はあるが
一流の大工さんにはなれない、ということになるんだ
と思う。


上の2つの例はちょっと武沢さんの解釈とは異なるか
もしれない。


でも、武沢さんの解釈で考えれば、毎日ジョギングし
ていたらオリンピックに出られるか、といえばそんな
ことはない。オリンピックに出るためには走るからこ
そオリンピックの道が切り開かれるのだ。


結果的にやっていることは同じなのかもしれない。要
は志をどこにおくか、というところなのではないだろ
うか。


よく、まったく同じような経験をしてきたのに、こう
も違うのか、という人を見かけたりする。それってい
うのは結局はこの志の違いがその差を少しずつ作って
いった結果なのだと思う。