合理的に代替しない

合理的に何かを代替しないものの市場というものは成
り立つだろうか。


電車の社内広告で見かけたのだが、ホンダがビアンタ
という耕うん機を販売している。これは家庭用のカセ
ットボンベで動くというものだ。極めて面白い発想だ
と思った。たぶん、普通の耕うん機というものはガソ
リンとか充電で動くのだと思う。そういう手間を大幅
に省くことに成功した製品だと思う。でも、そうはい
っても、それ自体は「家庭菜園用耕うん機市場」とい
う市場の中で差別化に成功した製品といえるのではな
いだろうか。


うちの研究している製品があるが、結局何を代替する
のかと考えると、「テーブルの上のメモ」だ。それを
代替するのにそんなたいそうな機器が本当にいるのか
という話だ。


合理的につきつめて考えればそういうことになる。で
も、じゃーなんでそんなものをやっているのか、とい
うことになる。


それが非合理の価値だろう。デザインとか楽しさとか
何となく新しそうとかそういう部分の価値になる。こ
の研究製品もその部類に入ると思う。以前書いたNプ
ロジェクトと同じような感じだ。Nプロジェクトに感じ
たワクワク感というのは結局のところはデザインに対
してのワクワク感なんだと思う。


それはそれで価値といえる。でも、果たしてそういう
価値をうちの会社が目指せるだろうか。TQCの考えに
基づき、品質目標を作っていこうとしたときに、決し
てその楽しさ、デザインのよさ、というものの判断
ができない。これまでずーっと、機能を数値化して
それをもとに意思決定をしてきた人たちに、その変
換は大きすぎる変換だと思う。では、そういう非合理
な判断ってどうやってやっているのだろう。そういう
部分を任天堂などから多いに学べるところだと思う。
それこそ、そういう転換をするのであれば、任天堂
ようなところから人を引っ張ってくるぐらいのことを
やる必要があるだろう。そうしないと、結局のところ
非合理な部分に本質的な価値を見出せないし、見出せ
たとしても、それを作りこむ段階で何度もコンセプト
の変更が強いられると思う。