価値観が違う

かつて、Tさんの元でインターンシップを経験させてい
ただいたとき、Tさんはほぼ全ての情報を僕に見せてく
れた。会社設立時の事業計画書から、経営戦略の方針
から財務情報まで、ほぼありとあらゆるものを見せて
くれた。僕から頼んでこばまれたものはなかったとい
ってもよい。どこの馬の骨ともわからない一学生の僕
を信用して、そうした対応をしてくれたことにとても
感謝している。それと同時に、そこまで僕を信用して
くれるのであれば、それに応えたい、と思うのは当然
である。また、Hさんも同じように自分の持っている
情報は全て僕にくれた。これも一方的なtakeばかりで
いまだかつて何のお返しもできていない。そういう経
験があるから、というか、そうした経験が僕の価値観
の源泉になっているから、大企業のたかだか一部門の
情報なんかを必死で囲いこもうとしている姿を見ると
不思議で仕方がない。僕の基準というか、Tさん、Hさ
んの基準で見てしまうと、そんな情報たいした価値な
いでしょ、となってしまう。


でも、多くの人は違うのだ。そういう経験もしていな
ければ、もちろん、そんな見方もしていない。会社に
入ってから出会った人や経験が全てなのだ。だから、
若くして出世したFさんが目の前にいればそれがロール
モデルになる。こういう人が認められる、認められた
人がいうことだから正しい、とそういうマインドにな
る。これは当たり前のことだ。そして、それ以外の価
値観に触れる努力(社外の人に合う、本を読む)という
ことをしなければその価値観でしか判断しなくなるだ
ろう。


だから、僕がまったく異なる判断軸で、「そんな情報
に価値ないよ」と言ったところで、むしろ僕の考えの
方がおかしい、というふうにしかならない。むしろ、
お前はぺーぺーの分際で何様だ、となるのが普通だろ
う。


こういうことに僕は気付いてなかったのだ。そもそも
僕としては、当たり前のことを言っているつもりであ
っても、それは会社の価値観の中にいる他人にとって
みたら極めて異質なものにしか映らないのだ。傲慢に
も、他の人たちはバカなんじゃないのか、と思ったこ
とすらあるが、それっていうのは、バカとかそういう
次元の話ではなく、価値観が違っているのである。そ
れだけなのだ。


でも、価値観というのは、極めて壊すのが難しい壁だ
と思う。そもそもそれが違っていたら、ベクトルの向
きが全然違うわけだ。会社の理念を唱和させるような
会社もあるが、結局はそうやって常に省みないと忘れ
かねないものだからだろう。そして一度それを忘れて
しまうとなかなか取り戻せなくなってしまうからだ。
さて、自社を翻ってみると、唱和はしても、魂はこも
っていない。だから、肝心な部分での価値観が揺らぐ
のだと思う。