若手飲み会

若手で集まって、プチ昇進祝いのようなことをやった
。最近、こういう機会はなかったので、ひさしぶりに
集まれてよかったと思う。


その中でGさんが、「みんな同じように頑張っているの
に、誰かだけ上がれないとかあったらよくないだろ」
と言っていた。まぁ、要は気まずいからお互い上がれ
たかどうかは当人同士は聞かない、ということだ。高
校とか大学の合格発表に近いのか。


でも、それって、その上、さらにその上、ってなって
いったときにどうだろうか。結局、ずっと同じことを
Gさんは言い続けるのだと思う。そしてあるとき振る
いにかけたられて、そこから落ちたものは甘んじてそ
れを受け入れざるをえないときがやってくる。でも、
「みんな同じように頑張っているのに」と考えている
人はそれを受け入れられるだろうか。受け入れられな
いと思う。結局、人事とのウマが合わなかった、上司
の力がなかった、全てを他責にしてしまうと思う。も
ったいない。


何が問題か、というとそもそも判断の基準がまったく
もってよくわからないということだろう。だからみん
な、上がれた人は「たまたま上がれた」というし、上
がれなかった人には「今回はたまたま上がれなかった
だけだよ」と慰めを言う。結局、自分の能力を客観的
に見ることもできなければ、他人の能力を客観的に見
ることもできない。そしてそのまま、"たまたま"上が
れた人が上司になっていくのだ。


ここでも大切なのは、納得感ではないだろうか。自分
が納得した上で上がること、自分が納得した上で上が
れないという現実を受け入れること。これらが必要な
のだと思う。


人事評価に絶対はありえない。所詮は人が決めたもの
さし基準だ。それに引っかからなかったからといって
その人自身がダメというわけではない。でも、サラリ
ーマンにとってはある種、その人の人生の価値すらも
決め兼ねないのがこの人事評価だ。こういうことを考
えてしまうのも、「捉われている」ということなんだ
ろうと思う。