ある夫婦の桃源郷

たまたま夕方にテレビをつけたところで、ちょうど始
まった番組は「山で最後を迎えたい ある夫婦の桃源郷
」だった。何の前知識もなく、ただ何となく見始めた
のだが、とにかく感動だった。テレビでこれだけ感動
することはそうはないだろう。涙がとまらなかった。


http://www.kry.co.jp/tv/tougenkyou/contents.html


ある老夫婦のドキュメンタリー番組だ。終戦後、夫婦
2人で山に入り、電気もガスも水道もない中で山を開
拓して暮らしていた。米や野菜を作ってそれを売って
生計を立ててたのだが、高度経済成長期に、3人の娘
の将来も考え、山を捨て大阪に移った。


その後、娘は3人とも嫁ぎ、そしておじいさんは18年ぶ
りに夫婦で山にもどることを決断し、電気もガスも水
道もない山小屋で暮らすようになった。これはその頃
からの17年間にも及び2人の生活を追った番組だ。


最初に取材班が訪れた頃、おじいさんは80歳、おばあ
さんは70代でまだ元気に暮らしていた。お米だけは、
町で買って、後は全て自給自足で自分たちで作った野
菜や手作りのコンニャクを食していた。あるとき、お
じいさんが山奥にキノコを取りに行ったのだが、日が
暮れようとしているのにもどってこない。心配したお
ばあさんが、大声で「おじーさーん」「おじーさーん
、早く帰ってこーい」と山に向かって叫ぶ。やがて、
おじいさんの返事が聞こえてきて、おばあさんは安心
する。そうやって2人は暮らしていた。


ただ、3人の娘たちは高齢の両親を気遣い、2人が山を
下りて、いっしょに暮らすことを望んだ。でも、2人は
それを拒み続けた。ただ、そんな2人、年月が過ぎるご
とに老いていった。


数年後、取材班が山を訪れると、畑は少し荒れ気味に
なっていたが、それでも2人仲良く暮らしていた。ただ
、食卓にはインスタントラーメンなども並ぶようにな
り、なかなか山で暮らし続けることが難しくなる様子
が描かれていた。そして、その年、おじいさんが心臓
を悪くして倒れたのを機に、とうとう2人は山を下りて
ふもとの老人ホームに入るようになった。


それでも春になり、温かくなり、おじいさんも回復す
ると、老人ホームの許可を得て、昼間は車で山に行き
、また山で過ごすようになった。そうした姿を見てい
て、3人の娘たちも月に一度は山を訪れるようになっ
た。老人ホームにいるときは、まったく動こうともし
ない2人だけど、山にもどると自分から仕事を見つけ
てなんだかんだと働き出すのだ。それからまた数年す
ると、おじいさんが入院することになった。それを機
に大阪にいた三女が山のふもとに移り住み、山を手入
れしだすのだ。おじいさんが退院したときにおばあさ
んが涙ながらにおじいさんを迎える姿がとても印象的
だった。そして、もはやおじいさんは動けなくても、
娘夫婦と山に通うのだ。


娘たちにとっては、老いていく両親がいると同時に、
自分たちの老後の生活というものが始まっている、そ
うした中でどう両親とそして自分たちと向き合ってい
くのか、というのがありのままに伝わってきた。でも
、三女の旦那さんが、自分の両親にできなかった親孝
行を奥さんの両親に対して、という思いはすごいと思
った。


そして、昨年おじいさんは亡くなったそうだ。病院に
入ってからもずっと山にもどりたいと言っていたとい
う。それから、山には三女夫婦が通い、畑を作ってい
る。おばあさんもいっしょに山にいく。おばあさんは
、痴呆が進み、「おじいさんはどこに行ったのかねぇ
」と娘に訪ねる。そして、山に向かって、「おじーさ
ーん」と叫ぶのだ。娘が「ほら、おう、って返事が聞
こえるよ」と言うと、「聞こえん」と言って、また「
おじーさーん」と山に向かって叫ぶのだ。


夫婦とは何か、両親とは何か、故郷とは何か、という
ことをすごく考えさせられた。大切なもの、っていう
のはきっとこういうものをいうんだろうな、と思う。


同時に自分の祖父母の姿がテレビの中のおじいさんと
おばあさんに、重なってみえた。