悪い意味で安心できる存在
けっこう前に会社でバーベキューをやったときに、Sさ
んはMさんをつかまえてきて、「この人はゴキブリみた
いに生命力があるぞ!何言われても生き延びている!
この人はすごい!」と半分バカにして、でも半分真面
目にいってた。
Sさんは自分のテーマが存亡の危機に陥ったのだが、正
直かなり追い詰められたと思う。せっかく危機感を感
じていたのだが、そこにセーフティネットを張ってし
まっているのがMさんだ。
Mさんは50代前半だが、毎回テーマはうまくいかず、ボ
ロカスに言われて、それでもなんとかいろいろやって
生き延びている。本人はものすごくおっとりとした人
で何を言われても、人を悪く言ったりしない。いい人
を絵に描いたような人だ。要は、そんな人でもある程
度出世し、給料もちゃんともらっているのだ。
少なくとも、Sさんがどんなに追い詰められても、自分
はMさんよりできると思っている。要は自分より劣って
いるMさんであっても、会社をクビにならずにそこそこ
やっていけるのだ。要はそういう悪いお手本が目の前
にある。Mさんであんなんなら、俺は絶対に大丈夫だ、
という安心感がそこで生まれる。これでは結局、危機
感が変化のバネにはならない。むしろ、自分のテーマ
が最悪なくなったとしても、別にクビを切られること
はないんだから、Mさんのようにのらりくらりやった
らいい。それでいて、多少なりとも慕ってくる人間が
いるのだから、そいつらを相手にしていればいいのだ
。
Sさん自身、一度大成功してしまっているため、よっぽ
どのことがない限り変われない。でも、その変わるた
めのチャンスを会社というカルチャーが奪ってしまっ
ているのだ。Sさん自身、自分が会社から必要とされて
いないのではないか、という疑念をどんどん高めてい
る。でも、Sさんも結局やめることはできないのだ。
そして、Mさんという前世紀のお手本を見習ってこれか
らも居座り続けるのだろう。
自分に絶対の自信がある人間が40代前半で、目標を見
失ったとき、どう行動すればいいのだろうか。そして
、それならばやめてやる、と思ったところで気付けば
その選択肢は既になくなっている。そのことにも初め
て気付くのだ。
こうならないように導いてあげられる人、そういう器
のある人がSさんには不可欠なんではないだろうか。
決してSさんが見るべきのはMさんのような安心保証人
間では決してない。