情報量と地位の関係

能力がない人ほど、情報を欲するような気がする。情
報を得ることでそれが能力かのように感じるからだろ
う。僕が本をたくさん読むのは、能力がない、という
ことの裏返しかもしれない。Hさんが、本も新聞も読
まない、って言ってたのはそれは情報がなくても、自
分でそれを生み出す能力があったからだろう。


さて、基本的に会社の中でその地位を作っているのは
持っている情報の差、という側面が多分に大きい。も
ちろん、能力があって上にいくひとはいるが、必ずし
もそうではない人がいる。では、そういう人がどうや
って下のものに対する優位性を維持するかといえば、
それは情報になる。自分だけが知っていて、部下はそ
れを知らない。それが立場の優位性を生むのだ。だか
ら情報がない人ほど、自分の優位性が脅かされる情報
は人には出したがらない。つまりは自分で抱え込もう
とするわけだ。それから、人からたずねられても情報
を小出しにしようとする。それは情報を出してしまっ
たらその時点で優位性が保てなくなってしまうからだ
。たぶん意識的にはみんな気付いていないことだ。で
も無意識のうちにそういうのが働く。僕自身、それが
ないとはやっぱり言えない。僕もそういうものを持っ
ている。


そう考えると、Hさんが「自分で作ったものはとにかく
人にあげるし、捨てる、それが成長の源、あげたり、
捨てたりしたら、また創らないといけないでしょ」と
言っていた。まさにそういうことだと思う。情報に捉
われてしまったらその時点で成長はとまる。結局は、
地位を得てしまうと、保身の誘惑にかられるからそう
なってしまう、というのもあるだろう。


でも、ヒエラルキーの組織をとると結局はそれが助長
されることになる。細かいことではあるが、e-mailを
責任者にだけ配信する、というものがある。別に、
e-mailのコストなんてないのだから、最初から全員に
配信すればいい。それなのに、一度責任者に配信して
それからそれを責任者がそのまま転送する、なんてこ
とをやっている。どうでもいい情報においてでもだ。


結局、ヒエラルキーの組織がフィルタリングをかけて
しまい、情報の流通を制限させてしまっている。もち
ろん、本当に機密情報やインサイダーに関わるものは
十分に管理しなければならない。でも、そこは全員で
認識すればいいものではないだろうか。結局、ヒエラ
ルキーの組織が、情報の差を能力の差と勘違いさせる
土壌であると思う。


また、昨今の情報セキュリティの問題がさらにそこに
追い討ちをかけていると思う。情報漏えいをこれだけ
声高に叫ぶと、とにかく何でもかんでも情報セキュリ
ティにひっかかるようになってくる。それが何を生み
出すかというと、情報流量を下げることだ。要は、ど
うでもいい情報であったとしても、少しでもリスクが
あるのであればそれは出さないほうが良し、というこ
とになる。リスクを最小限に抑えるということがこう
いうところにも働いてくるのだ。結果として、情報は
漏らさない、でも、流れない、そういうことが生まれ
てくる。


この前インターンシップに来た学生にKさんが、「会
社で知ったことを決して外で話すな」みたいなことを
きつく言っていたが、そういうことを杓子定規に言う
べきでない。言っていいことと悪いことを教える義務
がKさんにはあるが、とにかく何でもかんでもダメと
言っていればいいと思っている。せっかく会社のこと
を外部の人に知ってもらうチャンスであるのに、それ
が機会損失を生んでいるのだ。


でも、そうではあっても、何が情報の流量を増やすか
といえば、それは「互いの信頼」に他ならないと思う
。信頼関係ができたときに初めて情報がやっぱり教え
てもらえたりするのだ。そういうのは局所、局所では
あるものの、やっぱり大きな流れにはなっていない。
むしろ流れはどんどん流量を減らしている。だから、
やっぱりまずみんなが考えなければいけないのは、お
互いを信頼しあうためにどうすればいいか、というこ
とではないだろうか。それは個人レベルで言えば、互
いをリスペクトすることであり、仕組みでいえば、コ
ミュニケーションというところにつながっていくのだ
と思う。そしてそのコミュニケーションは決してカン
バセーションではなくコミュニケーションでなければ
ならない、ということだ。