江戸時代の改革

江戸時代の改革として言われるのが、享保の改革、田
沼の政治、寛政の改革天保の改革だ。


学校の教科書で習うのは、それぞれの年代と改革者と
やった内容、それと結末ぐらいだ。享保の改革は成功
、残りについては改革者が失脚したことから失敗と位
置づけられている。


僕自身、それぐらいの知識がないので、webで調べて
みたのだが、享保の改革は幕府の放漫財政を正すため
に米中心の緊縮財政をしいた政策。また、田沼の政治
重農主義から重商主義への転換。そして、寛政の改
革は、重農主義への回帰、天保の改革も同じように、
享保の改革を手本とした緊縮財政であった、という。


さらに寛政の改革天保の改革貨幣経済が進む中で
重農主義への回帰はもはや難しいものであったといわ
れる。当人が失脚したこともそうだが、そうした背景
が失敗の根拠となっているのだろうか。


いずれにしてもここから読み取れるのは、放漫経営に
よる財政逼迫、飢饉による打撃、農業から貨幣経済
のシフト、というのがその背景にあり、そもそも徳川
幕府の仕組みがそれに対応できなくなっていたったと
いうことだろう。面白いのは、江戸時代は鎖国をしい
てたこともあり、基本的には内需のみで経済が動くわ
けだから、外圧などはなかったはずだ。要はある程度
のものは幕府でコントロール可能だったのにも関わら
ず、貨幣経済へのシフトが起きてきたということだ。
ちょっとこの当たりの知識はほとんどないが、そのも
ととなっているのは、放漫経営であり、その結果、貨
幣経済にシフトした、でもシフトした結果自分たちを
さらに苦しくさせる結果になった、ということかしら
。このあたりを調べていくと面白いかもしれない。


そしてそれを内部から変えることはできなかったとい
うことだ。結局、外様国の浪人たちを中心に明治維新
は行われたということだ。さらにいうと、幕府が倒さ
れ、倒された結果新しい政府ができたということにあ
る。内部からの改革、つまり自浄作用が効かなかった
ということだ。さらにいうと、幕府がつぶれない限り
日本は変われなかったということだ。徳川幕府を残し
たままで新しい日本に生まれ変わることはできなかっ
たのだ。


これは盛者必衰、という話とはちょっと違うと思う。
むしろ、これが自然なことと、いえるのかもしれない
。つまり、順応同化していかない限りはそうなるとい
うことだろう。


そういや、話は変わるがこの前読んだ「世に棲む月日
」が面白かった。長州藩が英国と戦争を行った際に、
賠償金を支払うことになったのだが、高杉晋作は自分
たちが勝手にやったにも関わらず、「その賠償金は幕
府が支払う」という約束をしたのだ。江戸幕府からし
たらたまったものではない。ただでさえ財政が逼迫し
ているのにそんな賠償金など払う余裕などない。ただ
し、それは長州藩がやったことだと言ってしまったら
、つまりは自分たちは、日本国の政府ではない、とい
うことを宣言してしまうことに等しくなってしまうの
だ。要はそうなってしまうと、日本には、藩という名
の独立国が200ぐらい存在している状態というのを、
対外的に認めることになってしまうのだ。そうなって
しまったら各藩に対する抑えがきかなくなってしまう
。そうした矛盾があったのだ。