再生医療の本質

マンチェスター大学に行き、肌の再生医療に特化した
研究施設でディスカッションを行った。基本的には、
2つの研究分野がある1つは、火傷など損傷を受けた肌
を再生する、というもの。もう1つは、医薬品や化粧
品の効果を細胞レベルでメカニズムを知ることで、
創訳につなげる、というものだ。


設備投資をして、人材を集め、たしかに肌という部分
に特化すれば再生医療の先端をいっている研究施設だ
というのは間違いなかった。


では、なぜ肌に特化したか、これは仮説だが、やはり
技術的敷居が低いので事業化がしやすい、というのが
あるだろう。例えば、心臓を再生します、なんていう
プロジェクトはそれこそ成功するかどうかもわからな
ければ、技術的に可能かどうかもわからない、またそ
れがいつ目処がつくかもわからない。まさに不確実性
が大きすぎる。一方で肌であれば、ある程度、解明し
つつあるし、そうした意味で技術的不確実性は小さい
分野といえるだろう。


でも、それと市場があるかというのは別問題だ。私自
身、漠然と再生医療にはとてつもない市場(フロンティ
ア)があるものだと認識していた。でも、本質はそうで
はないということだ。要は、あなたの火傷の跡が、500
万円を出せば治りますが、治しますか、という話だ。
たしかに、火傷の跡は治したい、というニーズはある
。でも、それに500万円をかけるか、という話だ。500
万円の金額は例えばだが、投資回収しようとすると、
どうしてもそういう価格になるということだ。これは
K先生もおっしゃられていたことだ。さらには、ちょっ
とした傷なんかが対象だとすると、片方は50万円の再
生医療、片方は500円のJ&Jのテープ、ということにな
るのだ。つまりは、代替品が何かという話で、再生医
療はいったい何を代替するのか、ということになる。
そうなると、肌という分野はたしかにリスクは小さく
事業化もしやすいが、決してクリティカルな分野とは
言いにくいのだ。一方でよりクリティカルな分野を手
がけようとすると、それだけリスクは大きくなってい
くといえる。


ただ、再生医療というのはその膨大な投資に耐えて、
その後投資回収ができれば、あとは一気に金のなる木
になるだろう。なぜならば、工場などを稼動させる必
要がないからだ。肌の培養なんていえば、それこそ材
料費はほとんどかからなくなるはずだ。回収すべきは
投資費用だけなのだ。そこまで耐えられるかどうかと
いうのが事業的な問題といえる。


また、今度は創薬の方だ。要は細胞レベルの機序を解
明することで、創薬につなげる、というのであるが、
そうであるならばOKだが、実際には「本当に効くかど
うかの確認」になってしまうような気がする。つまり
は、化粧品なんかはほとんどエビデンスがなく成分の
明示だけで商品化できたりする分野だ。たしかに肌に
合う合わないがあったりするものだ。合わないものを
使ったりすると肌荒れを起こしたりするのだが、それ
は自己責任ということになっている。また過大な広告
も問題になっていたりする。でも、そこを掘り下げて
いってどうなるだろうか。例えば、既にある化粧品の
細胞への効果を検証して、結局、「やっぱりこれは効
くんですよ」となったところで、お客さんは、「うん
、そんなの知っているよ」ということになってしまう
のではないだろうか。逆のパターンで言えば、世間で
評判のよくない広告だけの化粧品を調べて、「やっぱ
り細胞レベルでもこれは効くわけがないんです」と
なったところで、お客さんは「そんなに肌に合わない
から知っているよ」になるだけだろう。つまりは、そ
れ自体が事業に直結するわけではないのだ。確かにエ
ビデンスというのは重要ではあるが、そんなにお客さ
んというのは合理的にはものごとを考えないものだろ
う。もちろん、彼らはそんなところを狙ってはいない
のだろうが、やっぱりそこから「こういう化粧品を作
ればいいんだよ」という発見が生まれない限りは難し
いといえる。


ただ、将来的に、化粧品も医薬品もオーダーメードに
なっていくような気はする。化粧品なんていうのはそ
れこそオーダーメード有効に働く分野だろう。なぜな
ら自分にぴったりの化粧品で肌に良いとなれば、それ
こそ金額を惜しまないひとはいくらでもいるはずだ。
研究の方向性とは別に事業の方向性を考えるのであれ
ばそういう分野だと思うのだが。