アカデミックな部分

雪でリーズへの到着が1日遅れた。それでも、無事に
リーズについた。それと今日からK先生が同行される
ことになった。K先生の背景はまったく知らないが、
どうやら国の研究機関で働いているということだ。


さて、夕食を食べながらいろいろと話を伺うことがで
きた。日本と海外の産業育成の違いを聞いたところ、
明らかに投資額が違うということだった。国の研究機
関でK先生は研究をしているのだが、米国やイギリス
はヘルスケア分野を重点産業と位置づけ、それに対し
てものすごい投資をしているという。それに対して、
日本の投資は微々たるものだという。そうなってくる
とやはり政策の問題というところに関わってくる。


米国の仕組みというのは、大学においても研究機関に
おいても、とにかく事業化が重視される。だから、や
はりかなり目先の市場というものが優先される傾向に
あるという。そうなってくるとどうなるかというと、
要はその事業化の元となる基礎の本当にアカデミック
な部分が枯渇してくる、というのだ。それは自明だ。
インセンティブがやはり事業化というところにあるの
であれば、それはいつ日の目をみるかわからないもの
よりは、できるだけすぐに成果が生まれやすいものを
みんなが取り組もうとするからだ。


でも、米国のすごいところはそういうインセンティブ
なあったとしても、決してアカデミックな部分を根絶
やしにはしないようにしている。そこに、政府として
きちんとお金を出すことで、アカデミックな部分が存
続できるようにしているのだ。だから、米国は周って
いるのである。


一方で日本はどうか。大学の独立行政法人化なんてい
うのはまさにアメリカをマネて大きく資本主義の中に
大学振ったといえる。大学も自分たちでカネを稼いで
運営しないといけないという方向に大きく舵をきった
のだ。そうなるとどなるかというと、やっぱり金をも
ってこれる先生、金を生み出せる先生というのが力を
持ってくるのだ。では、アカデミックなところをやっ
ている先生はどうなるか、というと金もない、評価も
されない、ということになる。その結果アカデミック
な部分が根絶やしになるから、今はよくても、将来の
ネタがありません、ということになる。日本もそこを
理解してきちんとアカデミックな分野へも投資できて
いるならいいが、そんなことはない、とういのがK先
生の意見だ。日本というのは常にこうやって、両面を
みるのではなく、片側に大きく振っては、今度は逆側
に振ってというのを繰り返す。ゆとり教育なんていう
のもまったくもって同じといえるのではないだろうか
。結局、問題が出てきたらまた逆に振るから、同じこ
との繰り返しにしかならない。


でも、アカデミックな部分というのは一度根絶やしに
なってしまったら、もう生まれてこない。花や枝をそ
ぎ落としても、花は再生する。でも、根をとったらも
う2度と花は咲かないのだ。


K先生の場合は、3Mの研究所に15年近く在籍していた
という経験がきっとそうした考えに至らせたのだと
思った。


イギリスなんかもどっちかというとその傾向があると
いう。リーズ大学なんかでも再生医療への取り組みは
金を持ってこれる分野だという。かなり大学の先生方
もそういう視点で研究を進められているそうだ。だか
ら、イギリスなんかはどうやってそのアカデミックな
部分を維持していくのか、そういうところをこれから
みていくべきだろう。