失敗から「学んだつもり」の経営

テキサス大学の清水勝彦氏の著書「失敗から学んだつ
もり」の経営」を読んだ。3点とても気にいったものが
あった。


1点目は、どの時点で失敗をみるかで捉え方は変わる、
というものだ。第2次世界大戦の敗戦は、日露戦争での
成功体験が原因となっている、という結論付けがある
。また一方で、戦後の高度経済成長を考えれば、戦争
に負けてよかった、と考えることもできる、というも
のだ。これなんかは自分が小さな頃から漠然と考えて
きたことの1つの答えといえる。要は戦争に負けて多
くの人が命を落としたことはよくないことだが、それ
と戦争に負けたことが悪かどうかはまた別ということ
だ。結果としてはその後高度経済成長を遂げたのだか
ら、負けてよかったのでは、と漠然と思っていたわけ
だ。ただ、本の中の仮説という点にも通ずるところな
のだが、そこで重要なのが、意図していたかどうかと
いうところだろう。戦争に負けて高度経済成長する、
なんていうのは誰も意図はできていなかったわけだ。
そういう意味では、負けてよかった、なんていうのは
後付の理論でしかないわけだ。大切なのは、負ける前
に考えていた将来と今の差異を認識できるかというと
ころになるんだと思う。


なんかは話がまとまらなかったが、次は2番目の点だ。
それは、畑村洋太郎氏の失敗学についての言及。畑村
氏の失敗学は基本的にものづくりの失敗をベースとし
ているとある。要は答えのあるものを解こうとしたと
きに失敗をしたときには、あるべき理想の姿がわかる
から学ぶことができるというものだ。著者がいうよう
に戦略というのはこれが正解というものがない。結局
は将来に対する仮説でしかないわけであり、失敗した
からといって別の理想解が存在するわけではないとい
うものだ。まさにその通りだと思う。逆にいうとだか
ら失敗を簡単に認められないのではないだろうか。要
は明らかに別の成功する解があるわけではないから、
それを失敗と位置づけることができない、というのも
失敗を認められない一つの要因になっているような気
もする。また、周りの人間もそれを失敗といったとこ
ろで代替案がないから失敗だと指摘することもできな
いのではないか。


そして、最後は「異質なもの、気持悪さに出会ったと
きにそれをそのままにしない」という点だ。失敗から
学ぼうといって、みんながわかるようなところにまと
めようとすると結局最後は抽象的な一般論に帰着して
しまうという。「顧客密着ができていなかった」とか
「開発効率が悪い」とか。でも、結局そこから何かを
学ぶことはできない。要は一番それを体感した人たち
が感じた異質さとか気持悪さ、つまり今まで考えてい
たことでは説明しきれないもの、そういうところに失
敗から学ぶヒントがあるんだという。これもまさにそ
うだと思う。僕自身、商品の説明員をやったときに、
商品Vと商品Kのお客さんは同じだというので説明をし
ていたが、たいていのお客さんは一方には興味を示す
が一方には興味を示さない、という状態だった。ただ
他の誰もここの点を感じてくれないのだが、僕はこう
いうささいなところにこそヒントがあると思う。また
自分自身を進化させるときっていのは、たいていが自
分のフレームワークで説明がつかないものに出会った
ときだ。そうしたときに無理やり当てはめるのではな
く、新しくフレームワークを作り直す、そのプロセス
が自分自身を高めてくれるんだと信じている。