「代替」しないもの...

最近、自分の中でよく使っているフレームワークが、
「用事」と「代替」の概念だ。イノベーションのジレ
ンマのクレイトン・クリステンセン教授の考えだが、
結局、製品やサービスというものは顧客の「用事」を
済ますためにある、というものだ。


この考えを用いると、ほとんどのものが説明がつく。
もちろん、それは既にあるものを「これは○○の用事
を満たすもの」「これは△△の製品の代替」と、後付
けで言っているに過ぎないのだが。


例えば、e-mailは「相手と連絡をとる」という用事を
済ますものだ。同時に、FAXや電話や手紙を代替するも
のとなる。また、電子書籍であれば書籍を代替するも
のだし、電子手帳は手帳を代替するものだ。PDAは当初
PCを代替するものというコンセプトで各社が争ってい
たが、「PCの一部の機能を代替するもの」という視点
に置き換えることで成功することができたものだ。(正
しくは「PCを補完するもの」というかもしれない。)


さて、その切り口でものごとを見ていったときに、困
ってしまったのが、NS事業の説明がつかなくなってし
まったことだ。まったく新しい概念であり、何を代替
しているのかがよくわからなかった。


だが、これをより細かく見てみるとなんとなくその本
質が見えてきた。一つ一つのブロック自体は既にある
ものを代替しているにすぎない。要はその一つ一つの
ブロックをあるコンセプトの元で集めることで付加価
値をもたらそうというものだ。ポータルサイトに近い
のかもしれない。別にポータルサイト自体はなんら新
しいことはしていないが、要は一つ一つの意味あるサ
イトを集めたところに意味があるのだ。


さて、そこでおきる疑問としてはそれを集めることで
機能的付加価値が生まれるか、という点だ。僕自身の
感覚で考えれば、どちらかと言えばエモーショナルな
感覚でのベネフィットとして捉えられる。なんていう
のか、家の中のオブジェとか壁紙とかもしかしたらそ
ういうカテゴリーに入るように思える。要はとっかか
りは、そんなんでもいいからとりあえずそれさえ売れ
てしまえば、後は何とでもなる、という考え方なのか
もしれない。


さてこう考えると、致命的な問題が一つある。やはり
それはキラーアプリがないということだろう。これも
できます、あれもできます、だが決定的に「これは絶
対に必要(needs)or欲しい(wants)」というものがない
。そこが一つのハードルとなる。


でも、成功のためにはやはり上にも書いたが、まず入
れてしまえばいい、というところだ。とにかくそれ自
体が何をできるか、というのは別にして一度入ってし
まえば後はそこからいろいろなことが派生できるのは
確かだと思う。


4年前にはまったくそんなところに思いもよらなかった
。4年もたって始めてそこに思い至るようになったとい
うところだろうか。さて、この考え方はどうだろうか。