機能設計の限界

MOTの延岡健太郎先生の講演を聴きに行ってきた。3月
にも延岡先生の話も聞いたことはあったのだが、基本
的にはそのときとまったく同じ内容だった。ウケを狙
っているポイントから何から何まで。"先生"っていう
のは一度何かを確立すればそれの焼き増しでやってい
けるからある意味すごいなぁ、と思った。


でも、そういうふうに聞いてて思ったのが、果たして
自分の作ったフレームワークを自分で壊すことはでき
るだろうか、ということだ。フレームワークというの
はある一場面のスタティックな状態だけを捉えれば、
現実をとらえているかもしれないが、世の中は常にダ
イナミックに流動しているものである。要はそれを認
識しながら、新たなフレームワークを生み出し続ける
ことが必要なのだろうが、一度確立してしまったフレ
ームワークというのはどうにもそれが難しいように思
える。例えば、結果はまだわからないが、延岡先生は
アメリカでビジオ社があっという間に薄型テレビのシ
ェアをとった話をされる。
でも、今どういうことが起きているかというと、シャ
ープにしろパナソニックにしろ大手企業の規模の経済
が働いてきて大手も劇的にコストを下げてきていると
いう。そうなってしまうと、ビジオの優位性が必ずし
も絶対的ではなくなってきているというのである。
先にも書いたが結果がどうなるかはわからない。でも
こういうことを説明しようと思うとやはりまた別のフ
レームワークが必要になる気もする。


さて本題にもどろう。
前回、延岡先生の話を聞いたときに、「家電の性能と
価格のグラフやよくでるが、洋服の保温機能と価格の
グラフなんてないでしょ。」ということを聞き、なる
ほどな、と思った。そこを先生は意味的価値として捉
えているのだが、そのときは意味的価値というのが結
局は何を示しているのかがかなりぼんやりしたままだ
った。


ただ、今回はその例としてキーエンスの事例を出して
くれた。キーエンスの場合は同じような機能を持って
いて、他社製品よりもかなり高いものであっても、顧
客はキーエンスを選ぶのだという。それは、キーエン
スの製品が使う人の「かゆいところに手が届く」とい
うのをもっとも体現しているかなのだ。


まさにこういうことなんだろうと思う。この「かゆい
ところに手が届く」というのは、結局は機能設計でき
ない部分なのだ。既存の製造メーカーというのは全て
機能設計に基づいてモノを作っていた。要は測れるも
のにおきかえてきたといっていい。機能設計のメリッ
トは、誰でも同じように作れる、品質が保たれる、と
いうものだろう。


でも、それを絶対とする考えでは、決して「かゆいと
ころに手が届く」はできないと思う。それは、機能設
計できないファジーものであったりするからだ。必要
性や数値目標といったところから測れないものであっ
たりするそれが意味的価値となっていく、のだと思う



だから、キーエンスのようなものづくりを日本の大企
業ができるかといえばできないと思う。それは、機能
的価値をカルチャーとするか意味的価値をカルチャー
とするか、のカルチャーの違いがあるからだ。古い価
値観を変えない限りはチャレンジしたとしても中途半
端なものにしかならないだろう。だから、キーエンス
という別の企業でそれをやるというのは正しいことな
んだと思った。


さらにいえば、何がキーエンスの意味的価値を創出さ
せているかといえば、それは強力な営業網だ。優秀な
人間を営業に集めるということを明言し、そして営業
のミッションを売るところではなく、顧客のニーズを
拾ってくるところに当てている。それがあって初めて
この意味的価値をもたらすことができるのだろう。要
はこれを売上げ目標を立てた営業体制でやれといって
も無理だ。そこが価値観の差というところだ。


そういう意味で、この顧客とのインターフェースとい
うのはやはり大きい。インテルにしても、DELLにして
も、ナイキにしても、製造などは外部にわたしても、
絶対にこの顧客とのインターフェースの部分は話して
いない。ここが結局は利益をもたらす源泉となるから
だ。