自分で考える

なんか前にも書いたことあるタイトルかもしれないが
...。


そもそもHさんの導きによって今の会社に入った部分も
あるのだが、入る前も入った後も、Hさんはうちの会社
がどういう会社だとか、言うのは教えてくれなかった
。唯一言っていたのは、親会社と比較したらアホだよ
、というようなことだった。でも、アホかどうかなん
ていうのも比較対照があって初めていえるわけで、そう
いう意味で主観的には何も言ってくれなかった。


でも、今考えればやっぱりそれは正しいことなんだと
思う。もしHさんが、あの人はどうだ、とか、あの組織
はどうだ、とかそういう話を僕にしていたら、僕はそ
ういうのに捉われてモノゴトを見ていただろう。


それに僕が「Hさんは大企業変革論者だったというが、
うちの会社の変えられた部分は何で変えられなかった
部分は何か?」という質問をしたときも、「まだ修行
が足りない」みたいな返事をくださった。たぶん、僕
が逆説的に「うちの会社は変えられないのでは」とい
っているのもわかってのことだと思う。もし、そこで
Hさんが「変えられない」みたいなことを言ってしま
えば、僕は「やっぱりそうなのね」と言ってそれ以上
考えることはやめてしまったと思う。


要は誰も教えてくれないんだったら自分で調べないと
いけない、だからこうしていろいろと考えるわけだ。
誰かに教わったりしてしまうと、それがなくなってし
まう。そして、自分でやるからこそそれが自分のもの
になるんだろう。与えられたらそれはその人のもので
あり、自分のものにはならない。自分で考える、とは
そういうことをいうんだろう。


Hさんが最後にくれたアドバイスはこれだった、「自分
で考える」。なんとなくやみくもに自分で考えてきた
つもりだった。でも、「自分で考える」というのはこ
ういうことなんだろう、と思う。何かを知りたい、わ
かりたいと思ったときに誰も教えてくれないなら、自
分でどうにかしよう、というところだろう。もちろん
考えているだけではダメだ。でも少なくとも考えない
と何も始まらない。


そして、自分で考えないといけない状態だから、あれ
これあっているかどうかわからないけど、人とディス
カッションして確認したり、実際に誰かを訪ねたりす
るのだ。そういうプロセスを経て、新たな発見を得る
とやっぱり楽しいと思うし、もっと知りたいと思う。
それがcuriosityというところなんだろう。


だから、必要なのは、「好奇心を持っていること」「
自分で考えるやってみること」なんだと思う。でも、
じゃー好奇心はどうやってもったらいいんだというと
ころになる。「学力問題のウソ」という本をちらっと
立ち読みしたときにあったのが、本当は都道府県別で
試験結果を公表するしないの問題ではなく、そもそも
子どもが学ぶことに好奇心を失っているのが問題なの
では、みたいな問題提起をしていた。そこにはいろい
ろとアプローチ方法はあると思うが、まぁ、会社の中
もそういうもんのような気がする。




ちなみに今日は同期のSの結婚式だった。いい結婚式だ
ったなぁ、と思う。