読書の限界

今年の4月14日から数えて、現在今年の読書数は12冊さ
だ。たぶん、1月〜3月分を足せば、たぶん目標の200冊
はいっていると思う。


でも、Tさんのブログに「僕は殆ど本は読まないし、ど
こかに書かれた内容を所感(ブログ)にしたくない。
僕は、今、目の前にあるものを全て疑ってかかる。そ
れがフレームを壊す第一歩だから。」ある。


たぶん、これは真理をついている。別に本を読むこと
自体は悪くないし、得るものはいくらでもあると思う
。でも、だからといってそこからコンセプトが出てく
るかと言えば、それは出てこないと思う。読書も含め
た上で、トータルで本から学ぶ、人から学ぶ、経験か
ら学ぶということが蓄積された結果としてコンセプト
が生まれるのだと思う。あくまでそういうスタンスで
本に接しないと、読書自体が目的化されてしまうし、
それこそ、本から得られた人の経験をつぎはぎにだけ
したフランケンシュタインナレッジだけが身につくこ
とにもなりかねない。


今の自分は本を読むことが目的化されてしまっている
し、そこから面白い知識が得られた、という事実だけ
で満足してしまっている。それ自体は何の価値もなさ
ない。それを利用してアウトプットが出てはじめて価
値が生じるのだ。


本気でコンセプトを作るのであれば、やはり本だけ読
んでいてもダメだ。別のアプローチが必要となる。そ
れはより直接的な経験でもあるし、目の前の仕事であ
るかもしれないし、強烈な体験であるかもしれないし
。まだまだそれは模索中だ。


それと、Tさんが言いたかったのは、本自体は過去の描
写でありそこから未来が見えるわけではない、という
ことだろう。だから、本に頼るということは過去のナ
レッジの延長線上の思考に捉われる可能性を生じさせ
る。既存のフレームワークを壊そうとするのであれば
、たんに過去の成功モデルに感心しているだけでは何
も事は起きない。それを疑う目を持たなければいけな
いし、もしかしたら、知らないほうがいいというのも
そうなのかもしれない。知れば知るほどそれに捉われ
てしまうから。現に僕自身もかなりTさんに捉われて
いるともいえるが。