思考の制約

「ビジョン」っていうのは、目的というニュアンスで
使われることが多いが、僕としては、「思考の制約」
というニュアンスで考えたほうがいいような気がする



人間っていうのは、「なんでもいいよ」という状態で
は返って考えることができない。要は、「なんでもい
いから面白そうな事業考えて」と言われて考えられる
人はそうはいないだろう。「製品○○を代替し、△△
社に勝てるような事業を考えて」と言われればとっか
かりができるから考えることができる。


そういう意味でいうと、「なんでもあり」というのは
ビジョンでもなんでもない。「ビジョンがある」とい
うのはどの範囲で思考すればいいかの制約を与えるの
だと思う。


では、その制約があるとどういう思考ができるの、そ
れは次の2つだと思う。
・何をやるべきでないかがわかる。
・優先順位がわかる。


ビジョンがある、ということはやるべきことは見えな
くても少なくともこれをやるべきでない、というのは
はっきりとわかるべきだと思う。それが正しいかどう
かは別としてそれがわからなければ選択も集中もでき
ない。また、どういうものを目指すのかというのがあ
れば自ずとやっていることの優先順位ができるはずだ
。優先順位がないということは、ビジョンがない、と
いえるのだと思う。


それにしても、このビジョンというのは難しい。Fさ
んは自分たちの研究室は全グループ内での専門部隊
となること、というように説明したが、では全グルー
プでこの分野は何をするのか、というのは全然見えて
いないのが現状だ。なんとなくみんな考えてはいるの
だが、それが明示されていない状態といってもいい。
だから、大筋で「このテーマは筋がいい」なんていう
認識では一致するものの、細かいところになるとうや
むやとなってしまう。ここをはっきりさせないと、
結局若い人たちは自分たちがやっていることが正しい
ことなのかどうなのか、というのがまったくわからな
くなると思う。


では、現状うちの研究室でそれがどうなっているのか
といえば、Fさんの価値観次第、というところだ。Fさ
んが面白いと思うかどうか、それによってくる。では
Fさんの価値観がどういうところにあるのか、といえ
ば、いまいちよくわからないというところだ。そこが
問題だと思う。だから、仮にFさんがいなくなってし
まったら誰もマネージできなくなってしまう。組織と
しては極めて危険な状態だ。


一方で、起業家の思考の制約がどこにあるか、といえ
ばそれは"起業家の興味"にあるんだと思う。そういう
意味でいえば、Fさんは起業家的ということができるの
かもしれない。でも、それは他の人が理解できて初め
て成り立つものだろう。