好き嫌いで人事

松井証券社長の松井道夫氏の著書「好き嫌いで人事」
。前著の「おやんなさいよ でも つまんないよ」はど
ちらかというと氏が行ってきたことを時系列でまとめ
た内容だったが、こちらは氏の哲学にあふれた本とい
える。


とにかく面白い。そして、証券業という自分とは異な
るカテゴリーではあるが、その哲学はTさんに通ずる
部分が多いにあると思うし、またきれいごとを言わな
いその姿勢がとても共感をもてた。あくまで資本主義
の論理の中で戦っていっているその姿勢は"社長"とし
てあるべき姿だと思う。


○一度、外部ではなく内部に向かってしまった人間の
意識は変わらない。外部の競争ではなく、内部での競
争にだけ目がいってしまうのである。


→ たぶん、飲み屋で話している会話の内容の比率が
これを決めると思う。そこで内輪の話ばかりしている
ようであれば内部に意識は向いているし、そうでなけ
ればまだ外に目が向いていると思う。自分でそれを自
覚できないのが一番の問題だ。
うちの会社は形式主義、事大主義、責任転嫁の官僚的
主義的な空気であふれてないか。


官僚主義に代表される大企業病を払拭し、目指す方
向性を示すために行った新事務所移転だった。方向性
とはこうだ。


→「方向性とはこうだ」と言い切れることがやはりシ
ンプルだがすごいことだ。普通だったら「大企業病
払拭したい」で終わっている。


○企業の立場を離れ、自由に顧客のビューポイントで
物事を考えられる社員の存在である。極論すれば、「
会社にとっていちばん損をする方法」を考えられなけ
ればダメなのだ。すなわちそれが、「顧客がいちばん
得をする方法」を考えることと同義だからだ。


→業界の既得権益を壊すというのがこれなんだろう。
そもそもある社内の既得権益はどうするか。J事業な
んかはたぶんこうしたことにチャレンジしがいがある
と思う。でも、それによってあぶれる人をどう救うか
というところがある。たぶん、だからしがらみがあっ
ては改革ができないということなんだろう。


○「給料をもらって働く人間は要らない。働いて給料
をもらう人間しか要らない」社員教育という概念も当
社にはない。一人の大人に対して何を教えるというの
だろうか。会社はその社員の働いた結果に対して給料
を払うのであって、その社員に給料を払うのではない



→「自分は成長します」なんていうのは「給料をもら
って働きます」と言っていることと同義だろう。また
社員教育という言い方がものすごく傲慢に聞こえる。
それこそサラリーマンレースを助長するための手助け
だろう。本当に生き残ろうと思うのであれば、成長す
るしかないのだ。それは会社がどうこうではなく、自
分自身の問題である。


松井証券という組織は「家」ではなくビジョンを共
有する人々に提供可能なインフラ・通過点に過ぎない
。本来、自由人たる個人を無機質な組織に縛り付け、
自分の家だと思い込ませる行為は不遜であり、人権に
対する冒涜であるとすら、私は思う。


→うちの会社はまさしく「家」といえるだろう。でも
、それでは成り立たなくなってきているのに変われな
いでいるという状態か。


○プロフェッショナルである人間同士が、ある期間、
ある目的のために、仲間として集い、事を成していく
という、一つの理想の姿を世に示すことができると思
う。


→まさに企業とはそういうものだ。依存するものでは
ない。そして実態がない存在というのもまたしかりだ



○私は経営者としてはもっとも向いていない部類に入
る凡人だと自覚しているし、そもそも発想力が豊富だ
とも全然思っていない。ただ一つ自信をもって言える
ことは、私がしたことはすべて自分なりに大いに悩ん
で、そして自分の頭で考え抜いて実行したことである
という一点である。時代のベクトルを指し示す教科書
はどこにもなかった。


→自信をもってこれをいえるようになる。そこまで考
える。


○陳腐で平板な筆記試験などを課し、バッサバッサと
切り落としては、「今回はご縁がありませんでしたね
」などと、ありきたりのセリフを吐いている自分の姿
を鏡に映して、愕然とした。なんだ、この醜悪な様は
...。お前はいったい何様なんだ...。


→最初から大企業に入り、大企業しか知らない人はこ
んな発想にはいたらないだろう。


○主体的な個人、すなわち、「働いて給料をもらう」
というビジネス哲学の持ち主であれば、こんな発想は
しないはずだ。新しいスタッフを自分の隣にひとり配
属するということは、自分の給料が半分になる覚悟を
していなければならない。ふたり配属すれば、給料は
3分の1になっても文句がないはずだ。


ここまでの覚悟をもって取り組めるか。そもそも利益
が出ないということは給料がもらえない、と考えるべ
きだ。ここまでの厳しさがあって初めて利益が出るの
ではないか。


○人間が人間を評価する以上、人間的なものを排除す
ることは無理なのである。格好つけていえば、私が行
き着いた一種の諦観・達観といえよう。


→評価項目をきっちり決めてそれだやってます、なん
ていうのはやっぱりきれいごとに過ぎない。それなの
にそれでちゃんとやってます、なんていうのは傲慢だ
ろう。だったら好き嫌いとはっきりいうほうがよっぽ
ど正直だ。


○旧世界を綴った「日本ビジネス昔話」では、年功序
列に支えられ、年々給料が上がり、定年まで勤め上げ
れば多額の退職金がもらえることが前提となっている
。しかも企業年金制度によって老後の生活も安泰。そ
の見返りは、会社の奴隷・社地区になることである。
このような「人をそしきに縛り付ける人事制度」」の
下で、従業員は健全なビジネスジャッジができるのだ
ろうか。


もはや会社に支配された人間は会社論理でしか物事を
考えられなくなるだろう。むしろそれを美徳であると
すら考える。まさに「会社にとっても、自分にとって
も、自殺行為」だ。


○「日本」「海外」なんて2つの世界に区別できるわ
けがない。無用な混乱を招くだけだ。海外は単一ユニ
ットではない。無数の個別外国の群像なのである。


→松井氏の世界観。


○「この指止まれ経営」顧客が集まっている場所に指
を立て、「私はこういうことができます。こういう発
想で、こういうコストを基に、こういうプライスで、
こういうサービスを行います。それは良い、と思う方
は、この指に止まってください。」


→そしてそれを選ぶのが顧客である。選ばれなければ
淘汰されるだけの話だ。


○知的レベルも相対的に低く、さしたる資格もない個
人が、「忠誠心・愛社精神」だけを額に張って、同じ
仲間だと叫んでみたところで、誰も本音ではそうだと
は思わないだろう。そうやって会社にしがみつくのは
、個人にとっても会社にとっても不幸なことである。


→Tさんの言わんとしていることと同じだと思う。個
人はプロフェッショナルとしてどこでも通用するスキ
ルを身につけなければいけないし、会社はそれを邪魔
しない、そういう関係にすぎないのだ。


○ポイントは「B(Bフラット)」という評価ランクが存
在しないことだ。つまり、「評価が横ばい」というこ
とはない、との考え方である。上がるか下がるかのど
ちらかしかない。


→こういう仕組みであれば、B-だって存在するし、簡
単にみんな平等に上げる、というわけにもいかない。
そうなれば真剣に評価せざるをえない。


○決断の本質は捨てること


→戦略の本質も捨てること


○「供給者論理を無視して、消費者論理で物事を考え
ろ」という信念を組織の体中に私は叩き込んだ。これ
は正義感から発したものではない。生きるための術と
して私が必死に考えた末、導きだした松井証券のビジ
ネスモデルである。


→きれいごとじゃなく、それが資本主義のルールだと
いうことだろう。それを理解しているかどうかの差は
大きいと思う。それを理解しているからこそ、情では
なく理にかなった経営ができるのだと思う。






ちょっとメモ。新事業のグループは利益をあげるつも
りではなく、たんに仕事を欲しているだけではないか
、と思う。