日常性と非日常性

昨日のエントリーで相同性と多様性について書いたが
、それと同じような事例として、日常性と非日常性と
いう二律相反を思い出した。


学生のときの某コンサルティングファームのケースで
、吉野屋の次の戦略を考えて、みたいな内容だったの
だが、まぁ、たいした内容もなく、海外進出みたいな
ことを書いていた。
そのときに、「海外に吉野屋があったら、異国の地で
日常性を感じて安心できる」みたいなことを書いたの
だ。


でも、よくよく考えると、人って、非日常性を求めて
旅行をしたり余暇の娯楽を楽しんだりする一方で、毎
日同じことが続く平穏な日常性も求めている。あまり
にも大きく変化することはストレスが大きすぎてイヤ
だがかといって毎日同じ日々の繰り返しというのも、
退屈してしまう、というこだろう。この相反する2つの
日常性と非日常性のバランスもきっと人それぞれなの
かしら。


そう考えていくと、極めて人間っていうのは不安定な
イキモノだといえる。もう1つの例で考えれば、「ずっ
と止まっていなさい」というのも、「ずっと動いてい
なさい」というのも、どっちも人間にとっては大きな
苦痛である。両方あって初めて人間は成り立つわけだ



そうなると、人の心地良さなんかを考えた場合も、必
ずしも絶対的に機能設計できないと思う。要はその機
能が心地よいと感じる場合もあれば、まったく不快に
なる場合もある。


例えば、マッサージチェアなんかもよい事例だろう。
ある会社のマッサージチェアは強い力で揉んでくれる
からよい、という評判もあれば、あのマッサージチェ
アは力が強すぎて痛い、という評判もある。実際に商
品にする場合なんかは、顧客の声を聞いて絶対多数の
論理で意思決定を行うのだろうが。


でも、例えばバズマーケティングなんかを考えたりす
ると、必ずしも絶対多数の論理に従うのは正しくない
のかもしれない。要は何がクリティカルポイントかを
考えないといけないはずだ。


うーん、人間の二律相反性を考えていくと、答えが...
。難しい問題だ。でも、もっと掘り下げたいところで
もある。