選択肢の幅

梅田望夫 氏のブログに、「無制限に選択肢があると何
も選べなくなる人が人口の80%から90%いる」という
仮説があるという話があった。梅田氏の大卒の頃と、
今とでは選択肢の幅が全然違う、ということを言って
いる。


直接は関係ないが、基本的には自分の人生って「選択
肢の幅」に焦点を当て続けてきたように思える。


高校のときは、サッカーはやりたいがサッカーがうま
くいかなくなっても大丈夫なようにサッカーの強い進
学校へ。
高校では、理系なら文転できると考え、理系へ。
そして大学は、自分の選んだ(それしかなかった!?)学
科が面白くなくても他にもいろいろ学べる、という言
葉にひかれて総合大学へ。
そして、学部卒で就職活動をし、第一志望の会社に内
定をもらったときに、そのまま就職するか、大学院に
進学するかで悩み、結局、就職は院を出た後でもでき
るが、院には今しかいけない、と考えて大学院へ進学

その後の就職では、結局、単品ではなくいろいろな事
業を見ることができるということから大企業へ。
さらにその後の配属では、源流にさえいれば、後はど
こにでもいけると考えて研究所を希望...。


こういう人生だ。果たして「これをやる!」という選
択をしてきたといえるだろうか。結局、ここにあるの
って「何かがダメになっても大丈夫なように」という
セーフティーネットだけである。要はネガティブな選
択しかしていないのではないだろうか。


実際、僕自身この生き方は正しいとずっと思っていた
。中学校へ教育実習に行った際も、最後の授業で、勉
強はなぜしといたほうがいいのか、というのをこの選
択肢の切り口から説明した。


そのときの話はこんな感じだ。
「自分の夢はサッカー選手になることだったが、でも
、実際はそうはなれなかった。あきらめたというのが
正しいかも。でも、今は、先生になることを一つの可
能性として目指している。でも、それが可能であるこ
とは、少なくともサッカーをやると同時に勉強もして
きたからだ。もし、夢がかなわなくても勉強をしてお
くことで自分の可能性を広げておくことができる。も
し、自分にサッカーしかなかったら、先生という可能
性はたぶんなかっただろう。だから、勉強はしておい
たほうがよい」
というような話だ。


でも、今から考えれば、"サッカーだけ"しなかったか
らサッカー選手になれなかったのだと思う。また、中
村俊輔選手が、イタリアに渡る際に、「ダメだったら
もどってこよう、なんて考えはなかった」と著書に書
いていたが、まったく僕の考えとは逆である、といえ
ると思う。


選択肢の幅というのはよく言えば、可能性を残すこと
であるが、悪くいえば、逃げてるだけなんだと思う。
僕の場合は後者なのかもしれない。本当に死ぬ気にな
ってやる情熱を注ぐものを見出せないというのは、こ
ういう生き方をしている結果なのかもしれない。


生き方を変える、っていうことか。