情報を知っているか知らないか

上司の今の方針は正直うまくいかないだろう、と思っ
ていた。だから自分で行動し解決の糸口をと思い、行
動を起こそうとしていた。彼らが本気で取り組むつも
りがないと一方的に決め付けていた。


でも、今日、話を聞いてみると、必ずしも、いい加減
に取り組んでいるわけではない、ということがわかっ
た。もちろん、いい加減な部分は多々あるのだが、少
なくとも「失敗してもいい」というつもりではないこ
とがわかった。たしかに誰だって成功するために仕事
をしたいはずだ。その根本が僕にはまったく見えてい
なかった。彼らは彼らなりに成功しようとして動いて
いたのだ。それにも関わらず、僕は「彼らは成功させ
ようというつもりなんてない」と思い、完全にそれだ
けに捉われていたのだ。


悔しい。でも、何が悔しいっていうのは、その格差が
情報格差から来ているということだ。答えが明らかに
なっているのにも関わらずそれを知っているのと知ら
ないのとの差があるのが悔しいのだ。それを知ってい
たら自分のアクションの取り方も変わっていた。もち
ろんこれからそれは修正しないといけないのだが。


それにしても情報を知っているか知らないかで差がつ
くというのは納得がいかない。もちろんその情報を得
るために行動したりすることは重要だ。でも大切なの
は、同じ情報が与えられたときに、どう意思決定をし
ていくかだと思うのだ。そこに能力の差が生まれるべ
きである。そういう意味で、答えがある問題について
は、可能な限り情報はシェアされるべきだろう。ちょ
っと言い方を変えれば形式知であったりマニュアルで
あったりというのだろうか。
一方で答えがない問題。これは答えを与えるべきでは
ない。答えがないんだからそこで頭を使って初めて考
えることができるようになる。答えがない問題に対し
て答えを与えてしまうことはもっとよくないことかも
しれない。


アクションの取り方を修正しなければ...。