少し知っていると全く知らない

京都府堀川高校の荒瀬克己校長の「奇跡と呼ばれた学
校」の中に書いてあった言葉だ。高校のOBの大学生が高
校生の前で進路についてスピーチする機会があったとき
に言っていたのだという。つまり、少し知っているのと
全く知らないのとでは世の中の見え方が全然違ってくる
。だから、高校生のときにはいろいろなことに興味をも
ってチャレンジしてほしい、というような趣旨で話して
いたという。まったくもってその通りだと思った。


例えば、アントレプレーナーシップについて話をすると
きに、ちょっとでも企業家の知り合いがいるのと、全く
そんな人には出会ったこともないのとでは、そもそも話
の焦点がまったくかみ合ってこないと思う。どんなにア
ントレプレナーシップの重要性を説いたところで、そう
いう人たちを全く知らなければやっぱり何も響かないと
思う。
同様に、ある本について話す場合でもその本を読んだ人
とまったく読んでない人では捉え方が全然変わる。こう
いう場合、全く本を読んでない人は結局その話題につい
て自分のステレオタイプからくる経験からしかモノゴト
を捉えられなくなる。


さて自分の場合。事業部にきて商品化の全プロセスを経
験することはできなかった。そういう意味でいえば、不
完全燃焼の部分はある。でも、たとえそうではあっても
「ちょっと知っている」ようになれたことは、全然知ら
ないことよりも大きな前進だと思う。確かに今までもい
ろいろ考えてはきたが、研究所の自分たちのグループの
視点しかなかった。でも、今はかなりの部分で、事業部
の視点としてモノを考える機会が増えた。それが今後ど
れだけ自分に意味を持つかは別として、肌感覚での視点
を増やすことができたのはやっぱりよいことだと思う。




夜は宴会だった。相変わらずのめちゃくちゃなノリだっ
た。でも、2次会のメンバーを見ていたらやっぱり今の
事業部はM商品の事業部なんだったいうのを改めて思っ
た。たぶん、その当たりの見えない壁がなくなったらも
っといい部署になるはずだ。そうした心の壁が一番大き
な壁なんだろうけど...。




それとHさんが珍しくほめてくれた。せっかくだから書
いておこう。1つ目は「一歩下がってモノがみえること
」、2つ目は「相手に嫌われないでモノが言えること」
というふうに言ってくれた。どこをみてそういってくれ
たのかはわからないけど、こういう表面的じゃない部分
に感じてもらえてほめてもらえたのは嬉しかった。