竜馬がゆく

先週の日曜日から読み始めてようやく読み終わった。今
まであまり幕末に興味を持つことはなかったが、幕末の
志士たちによって、今日の日本があるということがよく
わかった。以下、本から得たもの。


・専門家
剣術を極めたからこそ、その後の活躍が可能であった。
坂本竜馬にしても、「まずは専門家になる、そこから道
は開ける」という道を歩んでいるのだ。また、それと同
時に志を持ち続けることが重要だ。竜馬自身、自分自身
が何をすべきか、というのは修行時代は見えていなかっ
た。しかし、自分自身が大事を為そうということだけは
思い続けていた。思い続けていたということは、つまり
自分自身が何を為すべきなのかをずっと考え続けていた
ということだろう。だから人との出会いをチャンスへと
変え、後に自分のやりたいことを具体化していくことが
できたのだと思う。自分はそこまでの専門化といえるか



・目線の高さ
竜馬の言うことは、常にサプライズがあった。薩長同盟
然り、大政奉還然り。多くの人間にとって最初は、「と
んでもないこと」だが、よく考えてみればいずれにして
も理にかなったことなのである。当時で言えば、「藩」
という目線で見るから、「日本」の視点で捉えた考えは
異端にしか映らないのであろう。こうした目線をもつこ
とができたのは竜馬がとらわれない心でヒトから学び、
かつ本質を見抜くことができたからだろう。レベルとし
てはだいぶ落ちるが、現在のカイシャ幕藩体制を考えれ
ば、同じように考えられる場面は多々あると思う。


・ずっと考えている
海援隊にしても、脱藩にしても、貿易にアイデアを聞い
た人にとっては突拍子もなく聞こえるが、ずーーっと
考え続けているからこそのアイデアであり、コンセプト
なのだ。


・議論
竜馬は、議論しない。議論などは、よほど重大なとき
でないかぎり、してはならぬ、と自分にいいきかせて
いる。もし議論に勝ったとせよ。相手の名誉をうばう
だけのことである。通常、人間は議論に負けても自分
の所論や生き方は変えぬ生きものだし、負けたあと、
持つのは、負けた恨みだけである。
ここは自分も多いに学ばなければならない。


・勝てない戦はしない
竜馬は、思想や感情に流されて戦をしようとはしな
かった。戦国の織田信長にしてもそうだったが、勝て
ない戦はしなかったのだ。本の中に祈祷師の話があっ
た。祈祷師とは雨の降りそうな様相を確認してから、
雨乞いをするのだという。だから雨が降り、人から
の信頼が得られるのだ。要は祈祷師は奇術師でも何で
もなく天気予報士だったといえる。つまり、時運を信
じるとは言っても、何でもかんでも運まかせにするの
とは違うのだ。


・時運
竜馬は剣術修行時代にこのようなことを言っている。
「ボチボチやる。世がわしを必要とするまでボチボチや
る。それまでは剣術ばかりやっていても、怒らんでこら
えてつかァされ。」
目の前のことにとらわれず、あわてることはなかったの
だ。それは志があったからに他ならない。


・運
以下は竜馬が書いた手紙だ。
そもそも人間の一生はがてん(合点)の行かぬもとよりの
こと。うん(運)のわるい者は風呂より出でんとしてきん
たまをつめわりて死ぬる者あり。
それにくらべて私などは運がつよく、なにほど死ぬる場
へ出ても死なれず。自分で死なうと思ふても又生きねば
ならん事になり、今にては、日本第一の人物勝麟太郎
云う人の弟子になり、(中略)どうぞおんよろこび願ひ上
げ候。かしく。
自分もその通りだと思う。運観というのだろうかな。