ラディカルイノベーション

一度、イノベーティブな商品が出され、ヒットすると、
同じように、今までにまったくないようなコンセプトを
生み出そうとする。


うまく考えはまとまらないのだが、例えば、冷蔵庫は冷
蔵庫であるし、掃除機は掃除機である。機能による差異
化はあるものの、基本的な目的とその輪郭は変わらない
wiiもテレビゲームというカテゴリーは同じだし、
NintendoDSにしても、モニタと操作器がついたものを持
ち運べるようにしたものである。(もともとはゲームボー
イ)


だが、今までにない非連続な商品が出されると、今度は
そういうものばかりを目指そうとしてしまう。うーん、
例えていうならなんだろう。例えば、馬車→自動車とい
うのはかなり大きなラディカルイノベーションといえる
。でも、それから1世紀近くが経つが、自動車の輪郭自
体はそれほど変わってはいない。


要はある種、それがないときには、その形状すら想像で
きなかったものだと思う。


でも、今度はそうしたものばかりを狙おうとするという
のは果たしてどうなんだろうか。


結局、とっかかりは別にしても、誰がどういう目的で使
うのか、というイメージすらできなければ、結局はモノ
にはならないような気がする。


つまり、「これができたらこんなに嬉しいよ!」という
イメージがないと、できあがったとしても、なんだかよ
くわからないもの、となってしまう。


そう考えると、そういったラディカルなイノベーション
ばかりを意識しすぎるのもどうなんだろうという気がす
る。もちろん、簡単にイメージできないからラディカル
イノベーションになりうるという面はあるのだが。大切
なのは、狙っているものが、ラディカルなのかインクリ
メンタルなのかを認識することだと思う。


イデアは否定する必要がない。でも、コンセプトは、
洗練されていなければならないと思う。今の組織には、
「人のアイデアは否定しない」というそれだけが広がっ
ていて、"コンセプトを観る"ということはできていない
ように思える。


うーん、いったい何を言っているだか、よくわからなく
なってしまった。


言いたいのは、「まずはそのアイデアがラディカルなも
のなのかインクリメンタルなものなのかを考えよう。イ
ンクリメンタルならば事業化のイメージもしやすい。ラ
ディカルなものであるならば、それの未来図がどうなる
かをイメージしてそれを人と共有する必要があるだろう
。やみくもにラディカルなものだけを美化して考えては
いけない。」ということかしら。


今回のエントリーはもっと洗練させていきたいなぁ。