環境問題を考える

最近、なんでもかんでも、「エコ、エコ」と叫ばれてい
る。特に違和感を覚えるのが、企業のマーケティング
ール化していることだ。アル・ゴア氏の「不都合な真実
」の中で、環境対応型の製品をできるだけ買おう、と呼
びかけていたのもその一つの要因だろう。


最近見るCMの中でも、
JR東海エコ出張
・どこかの引越し会社のエコ引越し
ヤマダ電機の環境対応PR
パナソニックのエコアイデア
・シャープのエコロジークラス
・etc...
とある。


次に出てくるのは何であろうか。エコレストラン?エコ
居酒屋?エコ事務機器?エコフィットネス?


何でもエコにすればいいというか、何でもエコにしない
といけない、というような風潮というのだろうか。


ここで感じる違和感は、何ていうのか、本当に環境のこ
とを考えている、というよりは、企業の「私たちは環境
を考えていますよ!」というアピールにしかみえないこ
とだ。もちろん、仮にそうだとしても、こうした小さな
ことの積み重ねが重要なのだからいいじゃないか、とい
う意見もあるが...。
逆に根本的な解決でも何でもないのに、「私たちはやっ
ていますよ!」みたいになるような気がするのである。


例えば、マイ箸を持ち歩いている人が、「私は環境を考
えて、割り箸は使っていないのよ。」なんていう。でも
、同じ人がオフィスではムダ紙を使いまくり、食べ残し
を流しに捨て、休日は毎週ドライブして買い物をしたり
している。それでも、「私は環境を考えているのよ。」
となる。こういうのってかえってタチが悪いと思うのだ



企業にとっても同じで、「うちはCO2輩出削減に取り組
んでいます。」という、一方で、イルミネーション協賛
なんていうのをやっていたりする。
仮に、ドンキホーテなんかが、「レジ袋削減に取り組ん
でいます。うちは環境対応です。」という一方で、夜間
に度派手なネオンをさらに増やしていたらどうだろうか



私の感じる違和感というのはこういうことなのだ。要は
それぞれが勝手に"部分"を論じたとしても、環境問題の
全体像を捉えた取り組みがなされなければ、仕方がない
のでは、ということだ。


もちろん、小さなことをコツコツと...という考えもあ
るのだが、今行われているようなことっていうのは、
山火事が起こってもうどうしようもない状態になってい
るのに、それぞれが勝手にバケツやらヒシャクやらジョ
ウロやらで水を撒いて、「私は山火事の消化に貢献して
いるんです。」といっているようなものではなかろうか



じゃーお前はどうするんだ、となるのだが、2つの考え
方が大切になるように思う。


1つ目はトヨタ大野耐一氏の考え方ではないだろうか
。要は不必要なもの、つまりムダを徹底的になくす、と
いうことだ。ムダな在庫があればそれはゴミとなり、環
境に悪影響を及ぼすわけだし、ムダなスペースが生まれ
れば、そこの管理用のエアコンが必要になり環境に悪影
響となっていくのである。要は自然の摂理の中で、必要
なものを必要な分だけ使うという考え方をトータルに行
っていくということだ。以前にも書いたが、アイヌ人の
考え方とも共通する。そうした取り組みがあって初めて
「環境を考えている」となるのではなかろうか。


もう1つの考え方は、生活スタイルだ。結局人は、便利
なものが出てくればいまさら不便なものにはもどりたく
ないのだ。一度エアコンを購入したら、もう扇風機には
もどれない。全自動の洗濯機を購入したら手洗いにはも
どれない。そうした不可逆的な生活スタイルをどうして
いくのかというのをトータルに考えることが必要になっ
てくるのだと思う。
これは観念的なもののようにも思えるのだが、逆にいう
と企業にとってはチャンスともいえる。要は効率化とは
別の切り口が今後のコンセプトのカギとなっていくから
である。さらにいうとそれなんなのかよくわからない、
という点がさらにそのチャンスを大きくさせているのだ
ろう。もちろん、スローライフやROHASなんていうのと
はまた違うのだと思うが。