松下幸之助氏の描いた世界

松下幸之助氏は、1932年5月5日に、水道哲学と称し、「
産業人の使命は貧乏の克服である」と宣言した。


松下幸之助氏は晩年、日本の行く末を案じていたという
。その結果起した行動の一つが、松下政経塾の創設だっ
た。最低でも5年間は政経塾で修行し、日本をよりよい
方向へ変えていく人材を育てようとした。


松下政経塾を創設した1979年、日本は高度成長期を経て
安定成長期へと入っていってた。




その当時、松下幸之助氏の目指した「貧乏の克服」はま
だまだ見果てぬ目標だったろうか。僕はそうは思わない
。日本人は、生活に必要な物資を十分に買うだけの経済
力を持ち、もはや飢えることなどはなかったはずだ。


ある種達成された「貧乏の克服」、目指した姿、でも、
松下幸之助氏は目指した姿に到達したにも関わらず、む
しろ、日本の将来を案じてならなかった。どうしてだろ
うか。きっと松下幸之助氏は「貧乏の克服」によって得
られた世界を必ずしも理想だと感じることはできなかっ
たのだろう。だからこそ、将来を託す意味で松下政経塾
を創設したのだと思う。


これを聞いた松下幸之助氏はどう言うだろうか。
きっと「まだまだだな。」というだろうな。


松下幸之助氏は水道哲学の中でこうだとも述べている。
「水道の水は川へ流れ、海に運ばれて、やがて蒸発して
雲となり、また雨になってすべての生き物を潤します。
私たちは「水道哲学」に込められた真の意味を継承しな
がら、水が無限に循環するような、新しい産業のあり方
を模索すべき時代に入っていると感じています。」


真の「水道哲学」とは物資の増大だけでなく、サスティ
ナブルであることもここで言及しているのだ。そうであ
るならば、まだまだ目的が達成されたとは到底いえない
といっていい。


そしてもう一つ、世界に目を向ければ、60億人の人口で
40億人が貧困層なのだ。そうした意味でもまだまだ目的
は達成されていない。


それこそ、250年と制定したその見識ははかりしれいない
ものを感じる。


僕自身、そこにこそ寄与すべきなのだ。