“無心”であることの難しさと効用

日経BPnetの田中秀征氏のコラム。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/column/shusei/080207_65th/index.html


羽生善治氏の対局を観戦した際の感想である。田中氏の
主張は「願望が洞察を曇らせる」ということだ。つまり
プロや当事者がいくら経験と知見で判断してもそこに願
望と私益と感情が入ると正しい判断ができなくなる、と
いうことなのだ。羽生氏が直感に基づいて差し手を決め
ることから、その直感に頼るためには、無私になっても
のごとを見つめなければならないというところにつなが
っている。


まさに松下幸之助氏の「素直な心」そして「捉われない
心」と同じことだと思う。それらを大切に思うと同時に
そうなるためにどうすればいいのか、というのはやはり
私心をなくすことなのだろう。
「こうあってほしい」「売れてほしい」「認められたい
」そういうものに捉われてしまうことが、要は私心をも
ってしまっていることなんだろう。


またこれらは、「有名になること、偉くなること、お金
持ちになること、これらを人生の目的とすべきではない
」という樹研工業の社長の松浦さんの言葉にもつながっ
ていく。


こうした私心を排除してものごとを見つめたときに本質
が得られるのだろう。