教えるということ

プロフェッショナル仕事の流儀、今週の主人公は、京都
府立堀川高校の校長の荒瀬克己氏だった。


探究科という学科を設け、そこで、生徒たちが自らテー
マを定めて研究を行っていくという。


「背伸びが人を育てる」をモットーに、生徒と直球勝負
で向き合い、生徒が自分から学ぶ喜びを感じられるよう
にしていた。


たぶん、人を育てる、ということはこういうことなんだ
と思う。チャレンジ精神を沸き立たせ、そして好奇心を
かきたてること。そうすれば、自ずと学ぶことは楽しく
なるはずだ。


ふと思ったことだが、「100点をとったらお小遣いを上
げる」というやり方はきっかけとしてはよいかもしれな
いが、本質的な学ぶ、ということにはつながらない。本
当にそこに好奇心を抱き、楽しくなるのであれば、お小
遣いがもらえなくても実際にそれをやるからだ。それに
こういう場合、お小遣いをもらったらそれで目的が達成
されてしまい、終わってしまう。本来、学ぶということ
に終わりはない。


自分を振り返れば、小学生の頃、サッカー部の全体練習
が終わってからも1人で練習を続けていた。別にお小遣
いがもらえるわけでもなく、誰かにほめられるわけでも
なかった。たんに自分がサッカーが好きだったし、楽し
かったからだ。


では、仕事はどうだろうか。西堀栄三郎氏の創造力の中
にも書いてあったが、人間には本質的に働く、考える、
喜ばれる、という性質がある。つまり人間は本質的に働
きたい生き物なのだ。だから、仕事に好奇心を持ち、そ
れが楽しく、そして自分から取り組めるようになれば、
自ずと働くものなのだ。


だから、勉強を教えることも仕事を教えることもつまり
は、人の好奇心を抱かせ、チャレンジさせることなのだ