松下幸之助経営回想録

インタビュー形式で、話された内容がそのまま書かれて
いるため、幸之助氏のざっくばらんな人柄を感じること
ができた。


それと他にも、主要な人物のインタビューが掲載されて
いた。特に、印象に残ったのは、丹羽正治氏の命知元年
についての話だった。


命知元年とは、松下幸之助氏が、「産業人の使命とは何
か」を考え、「貧乏の克服」という答えに至り、それを
社員に水道哲学として宣言した日のことだ。それが、昭
和8年5月5日である。


新入社員として入社したばかりで、丹羽氏は、とかく批
判的な層で、作業着を着ることさえ嫌がっていたという
。その彼が、幸之助氏の宣言を聞き、抵抗なしに「それ
はそうや」と思ったという。同時に「親父の話は説得的
でしたし、理想に燃えていることがありありとわかりま
した。」と語っている。その丹羽氏が語るには、幸之助
氏が宣言をし、「みんなも意見をいえ」というと、全員
が興奮し、われがちに壇上に駆け上っていったという。
丹羽氏も壇上に駆け上って興奮して叫んだという。この
とき幸之助氏は40歳だ。


時代は違うとはいえ、人々が熱狂するようなビジョンと
はこういうことではないだろうか。毎年大企業が経営
スローガンを掲げたところで誰が熱狂しているだろうか
。果たしてそのメッセージを次の日に覚えているだろう
か。みんなが壇上に駆け上がるとまではいかないまでも
、"熱狂"するような企業を作りたいと思う。


それと、幸之助氏は原稿を読まなかったという。これは
SONY盛田昭夫氏と同じだ。


それにしても不思議と、幸之助氏がいうと、「その通り
だなぁ」と思えるから不思議だ。
「企業が、朝早くから全員集まって歌を歌い、朝礼をや
って夕礼もやるなんていうとそんなもん前世紀の遺物や
ないかといってけなす人が出てくるわけですな。そうい
ってしまえばそうかもしれませんが、長い間の伝統です
しね。長い間やってきて病気になったわけでもないし、
法律でとめられているわけでもない(笑)。1,2分費や
すだけですから、まぁ、やろうやないか、こういうこと
ですわ。」


改めて不思議な魅力を持った人だと感じた。