ガイドの話

今日は、午前にミーソン遺跡を訪れ、午後にホイアン
町を訪れた。ミーソン遺跡ではガイドを頼んだ。話を聞
いてみると、彼は元々英語の先生だったようだ。ただ、
とても給料が安かったのと職場が家から遠かったので、
先生をやめてガイドになったそうだ。


先生だと給料でコーヒーしか飲めないが、ガイドだった
ゴハンを食べることができるという。


ここベトナムでも先生という職業はプロフェッショナル
と呼ばれるものではないのだろう。


自分は、教師こそプロフェッショナル職にすべきだと思
う。教師になることも難しければ、給料も高い、という
ものであるべきだ。これまでの画一的教育(護送船団式
ともいえるだろうか)では、誰もが同じように平均的に
教えていればよかったが、これからは教師自身が強みを
もっていなければならない。引いては、それが国力の向
上につながるはずである。


でも、ふと思った...。ベトナムは教育事情はその会話の
断片からしかみていないが、まだまだ途上だろうと思わ
れる。でも、経済はどんどん成長している。
そう考えると、"教育"の成果とは何で測られるべきなの
だろうか。バブル前、きわめて優秀な人間が日本では大
企業にたくさんいたがバブル崩壊後の経済の低迷は訪れ
た。必ずしも経済では測れないような気がする。そうす
ると、文化だろうか。


もっと原点から考えると、「日本っていい国だね」とい
われることかもしれない。でも、それも主観的であり、
相対的なものだ...。