共通の価値観の捉え方

以前、先輩Oさんと飲みにいったときに2点、激論を交わした。

(1) 組織のコミュニケーション

 僕  :「グループのメンバーがもっと本音で自分たちはどうなのか(技術、
      ミッション、etc)ということを話し合わないといけないと思いま
      す。」
 Oさん:「どうしようもない人たちだっているだろ。そういう人たちと話し
      たところで意味はない。それに今までもずっとそうしようとして
      きたけどできてないだろ。」
 僕  :「そうじゃない。結局はいるメンバーでやらなければしかたないし
      、そうした人たちにもやってもらえるようにしないといけないん
      じゃないでしょうか?」
 Oさん:「じゃーそういうことをやって、それでもその人たちがどうしよう
      もなかったら、そしたらどうする???」
 僕  :「...」


たしかにそのときに返す言葉はなかったが、でも、何もしなければ何も変わ
らないのは確かだと思う。それをするだけの労力に見合うものが得られるか
どうかはわからないが、何もしないよりはいいのではないか。さらにいうと
『使えない奴は切る』的な発想は通じないと思う。『使えない奴をいかに使
えるようにするか』を考えるのもリーダーの役割の1つだと思う。そもそも
「使えない奴」という表現はあまり好きじゃない。


(2) 組織の価値観

 僕  :「やっぱり、組織として成立するためには、組織としてのビジョン
      というか価値観が必要だと思います。」
 Oさん:「それぞれがそれぞれの価値観でやりたいことをやればいい。それ
      が研究者だ。」
 僕  :「でも、やっぱり方向性としてみんなの共通基盤となるものが絶対
      にいると思います。それがないと、やりたいことがない人は何を
      していいかわからなくなってしまいます。」
 Oさん:「じゃーみんなが同じ価値観を持つということ?」
 僕  :「はい。」
 Oさん:「そんなこと言ったら、全員賛成!全員反対!になるってこと?」
 僕  :「...」


ここでも答えは出せなかった。確かに共通の価値観っていうのは、ある意味
全員賛成、全員反対になることなのかもしれない。でも、それはスコープを
どう捉えるかということになる。ある一点の技術だけを捉えれば、賛成or
反対の意見があってもいい、でも会社の事業として、という視点になれば
多少の幅はあってもベクトルは同じでなければいけないと思う。例えば、同
じ健康というくくりでも、食品の研究と機械の研究ではまったくベクトルが
変わってくる。そうした基盤の部分での共通の土台という意味では、共通の
価値観が必要になるはずだ。


多様性と均一性のバランスは難しい。まさにスコープの捉え方だ。