計画とセレンディピティ

計画は大切である。計画がなければ具体的な行動はできない。で
も、果たして計画通りに行えば全てがうまくいくかというとそう
ではない。

なぜなら計画は予測に基づいている。その予測というものは、こ
うありたい、でもあるし、こうなるだろう、でもある。

そして、未来を予測することはできない。それができたら、誰も
苦労はしていない。


そこで大切なことが、serendipity(セレンディティ)を捉えるこ
とだ。セレンディピティとは、「思いがけない幸運」のように
訳される。人生とは偶然であり、予期せぬことの連続でもある
。その予期せぬものの中に機会を見つけ、それにチャレンジでき
るかどうかが大切になってくる。

計画にしばられる人は、「それは計画外のことだから」となり、
セレンディピティを捉まえられなくなってしまう。


かといって、計画を立てなくてもよいか、というとそうではな
い。何もしていない人にセレンディピティは訪れない。問題意識
を持ち、それに取り組んでいく中でそれは出てくるものだ。だか
ら計画を立て、進めながらも、セレンディピティを感じるセンス
が必要なのだ。


ノーベル賞を受賞した田中耕一さんもある意味偶然の産物が成果
に結びついた。実験に失敗したたんぱく質をたまたま見たら、そ
こに今まで見たこともないものがあった、というわけだ。もしそ
れがなければノーベル賞はとれていなかったかもしれない。
人生とはそういうものなのかもしれない。


参考:宋文州さんのコラム
(http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070410/122345/)