意思決定の遅れ

4月8日(金)の日経新聞に、地震直後から48時間の政府と
東電の動向がのっていた。特に興味を引いたのが、原子炉へ
の海水注入についてだ。


12日 20時20分
建設に巨額の費用を投じた原子炉が、二度と使えなくなるの
は目に見えている。東電は給水車で真水を運ぶことを自衛隊
に要請。復旧の可能性がわずかでも残る真水での冷却にこだ
わった。「東電は試算を守りたいと考え、判断が遅れた」。
政府関係者は憤る。


結果論から見れば、東電は非難されて然るべきだろう。少な
くとも原子力を扱う事業者として、チェルノブイリの事故が
頭の中にあれば最悪の事態を想定して何をすべきかは判断で
きたはずだ。


ただ、自分がその立場だったときに、その判断ができたかと
いうと自信がない。社長という立場を考えたときに、まず先
に考えてしまうのはやはり会社を守る、ということだろう。
つまり、自社に置き換えて考えてみたらよい。東電にとって
の福島の原発の価値とそれが同等かどうかは別にして、例え
ば、自社のH事業本部に何か問題が起きた、次の日にそれを
完全にクローズする意思決定ができるかどうか、ともいえる
。そこから生み出される売上、利益、社会への影響、そこで
働く人々の雇用、そうしたものを考えたときに、「事業廃止
です。」とすぐに意思決定できるだろうか。企業のトップと
いう立場で思考をしてしまったら、「なんとかしたい」と考
えてしまうのは仕方がない部分もあるように思う。そういう
意味で自分だったらもっと迅速に判断ができたかというとそ
ういう自信はもてない。


しかし、結果として、企業人としての視線で起こっている現
実を見てしまったのが間違いだったといえる。いかにその枠
組みを越えて、一企業を超えて、日本という国の立場にたっ
たときに守るべきものは何か、というふうに考えるべきだろ
う。


ただ、それで結論として何か変わったのか、といわれるとそ
れも今の時点ではまだわからない、としかいえない。