日本人の宗教心

昨日の読売新聞に、日本人の宗教心についての世論調査
がのっていた。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080529-OYT1T00923.htm


以下、YOMIURI ONLINEの内容だ。
読売新聞社が17、18日に実施した年間連続調査「日
本人」で、何かの宗教を信じている人は26%にとどま
り、信じていない人が72%に上ることがわかった。た
だ、宗派などを特定しない幅広い意識としての宗教心に
ついて聞いたところ、「日本人は宗教心が薄い」と思う
人が45%、薄いとは思わない人が49%と見方が大き
く割れた。また、先祖を敬う気持ちを持っている人は9
4%に達し、「自然の中に人間の力を超えた何かを感じ
ることがある」という人も56%と多数を占めた。
多くの日本人は、特定の宗派からは距離を置くものの、
人知を超えた何ものかに対する敬虔(けいけん)さを大切
に考える傾向が強いようだ。
調査は「宗教観」をテーマに面接方式で実施した。
死んだ人の魂については、「生まれ変わる」が30%で
最も多く、「別の世界に行く」24%、「消滅する」1
8%――がこれに続いた。


新聞には解説も載っていたが、ちょっと書いた人の名前
までは忘れてしまった。それによれば、日本人は無宗教
とは言いながらも、神社にお参りにいったり、仏壇に手
をあわせている、そうした日常の中に宗教が根付いてい
ることから日本人は宗教的だといえる、というようなこ
とを言っていた。


さてさて、でも、意識をせずにそうした行動をとること
が宗教的といえるだろうか。クリスマスにケーキを食べ
てプレゼントを上げるのをキリスト教的というだろうか
。つまり、宗教的イベントは残ってはいるものの、宗教
心というものは薄れてきているといえると思う。


そもそも僕自身は、宗教は科学的に説明できないものを
説明するというのがその一つの役割だと思う。人類がど
こから来たか、その昔説明ができないからその役割を宗
教が担っていたのだ。従って、科学技術が発達した今日
において、ある程度あらゆる事象が科学技術で証明でき
るようになってしまっている。それが正しいかどうかは
別として。そうなるとやはり宗教心が薄れていくのは自
然の摂理なのかもしれない。もちろん、歴史をひもとけ
ば宗教心にその波はあるはずではあるが。また、科学的
に説明できないこととして、人間としての行動規範があ
る。要はそれを説明してくれているのも宗教である。簡
単な例でいうと、「ヒトをなぜ殺してはいけないの?」
という子供の質問に対する答えがそれだろう。こうした
ことは宗教で説明ができる。でも、宗教心が薄れてくる
と、こうした人間の生き方としての根本を説明できなく
なってくる。それが今日の物質的な豊かさに対する精神
的に貧しさを生んでいるのではないだろうか。