坂の上の雲

連休はひたすら司馬遼太郎氏の「坂の上の雲」を読み続
けた。5/1からはじまりようやく読み終わった。かなり
のボリュームだった。
「小説」というジャンルに分類されており、もちろん、
司馬氏の私点も入っているだろうが、これほどまでに歴
史の一片を捉えたものはないのではないだろうか。その
中で感じたのは5点だ。


・国の存亡
まず国がなくなるかどうか、というギリギリのところで
戦っていくということだ。これほどまで追い詰められた
状況で戦い続けるというのは本当に想像を絶するところ
だと思う。こうした中で意思決定を行い続けていく精神
力、明治時代に日本を背負った人々の偉大さを改めて感
じた。果たして現代に、「国のために」という志をもっ
て生きている人々がどれだけいるだろうか。自分自身も
含めてそうだがおよそ娯楽にあふれたこの現代において
どうすればこの精神を持つことができるだろうか。まさ
にこの時代の国を動かした人々はエリートといえる。同
時に彼らに共通しているのが、"無私"という点に限るよ
うに思える。


・グローバル
想像以上に明治の人々がグローバルであったことがわか
る。エリート層はほとんどが諸外国に留学し、その中で
学び語学を磨いていった。他国から学ぼうとする意識が
今よりも確実に強かったと思える。今の自分と比べてみ
ればおよそ彼らのほうがグローバルであるという印象を
受けた。


官僚主義
ロシアもそうだが、日本においても、軍隊というのは限
りなくトップの戦略に依存するということだ。どんなに
現場で兵隊が死力を尽くそうともそもそも戦略が理にか
なっていなければうまくいくわけがない。よく仕事では
現場で目の前のことをまずは頑張れ、とはいうものの、
それだけではどうにもならないこともあるということで
ある。戦争に関して言えば、現場の士気はもちろん重要
であるがそれ以上に戦略に依存する、ということがよく
わかった。ビジネスでいうならば、どんなに精神力で営
業したところでコンセプトが正しくなければ売れようが
ない、といったところか。


・過大評価
ロシアの陸軍司令官のクロパトキンが日本の戦力を常に
過大に評価することで、結局は日本に勝つことができな
かった。後から考え、戦略さえ間違えなければ明らかに
ロシアが勝っていたという戦いにも関わらず。自分自身
、常に相手を過大に評価することが成功につながるとい
う考えでいた。要は相手を過大と考えることで、それ相
応の準備をするからだ。その準備をしておけば仮に相手
がそれ以下だったとしても問題なく勝てる、という考え
だ。しかし、クロパトキンはそれに捉われ続けることで
結局、自分自身が負けるというリスクをとることができ
なかった。要はこの相手の過大評価というのはリスクを
犯せなくなるという欠点をもっているのだということが
わかった。


・成功に捉われる
日露戦争の勝利が、その後の第二次世界大戦での敗北に
つながったというのはよく聞くところである。まずは、
マスコミがその勝利にのみ焦点を当て、それに国民が感
化されたということがある。マスコミの視点でものごと
を捉えると必ずしも真実は見えなくなる、ということだ
。また、戦後の記録も、極めて成功ポイントにだけ焦点
が当てられたという。そうすることで、いったい何がま
ずかったのかという点が隠され、一歩間違えたら、完全
敗戦となったかもしれないポイントなどが消え去ってし
まう。そしてそれが後世の誤った意思決定につながると
いうことではないだろうか。これは、企業においても同
じように思える。本来であれば失敗プロジェクトに焦点
を当てるべきなのだろうが、誰もそれを「失敗」とは断
定できない。そういうところが同じ過ちの繰り返しにつ
ながるのだ。