責任を論じる

大々的なプロモーション活動を行ったが、いったい誰がど
ういう経緯で意思決定を行ったかを明らかにしたほうがよ
いと思う。
それは、営業の意思で行ったのか、それとも製造側の意思
で行ったのか。最終的には両者が合意のもとで行ったのだ
ろうが、それぞれの思惑は違うわけだし、それがうまくい
ったとき、いかなかったときに、責任の所在が曖昧になる



結局、新聞でプロモーションを行ったのだが、新聞効果は
揮発的なものでそれは後から現れるものとは違うもののよ
うに思う。
それにも関わらず、プロモーションを行ったときに、その
新商品が店頭にまだ並んでいない、というのはおそまつで
はないだろうか。結局、旧商品の在庫が残っているから新
商品を入れられないのである。
プロモーションのタイミングもそうだし、商品の押し込み
もそうだし、やはりちぐはぐなのではないだろうか。


さて、朝会では事業部長がモチベーションをあげるために
プロモーションの内容を一生懸命説明されていた。しかし
、このプロモーションは成功だったのだろうか?成功か失
敗かの2元論で考えたら失敗だったと思う。では、どうなっ
ていたら成功だったといえるのか。おそらく、「売れてい
たら」ということになる。では、結果論でもいいからどう
すればうまくいっていたのだろうか。そもそも何がダメだ
ったのだろうか。それを議論しなくてはまた同じ過ちを繰
り返すことになると思う。


2元論で考えないとどうなるのか。そうすると、「ある面で
は成功だったし、ある面では失敗だった」「別に全部が失
敗だったわけじゃないのだから責任をうんぬんではない」
ということになると思う。たしかに物事で全部が成功、全
部が失敗ということはそうそうない。その両方を見ないと
いけない。でも、ビジネスの成果を測るためにはそれを測
定しなければいけない。つまりときには2元論で論じること
が必要になるのだ。そうしないとまた同じ失敗を繰り返す
し、意思決定ができなくなってしまう。