正しいことと正しいことの選択

ジョセフ・L・バラッコ氏の2つの著書「静かなるリーダ
ーシップ」と「決定的瞬間の思考法」を読んだ。企業の
中間管理職が正しいことと正しいことの問題に陥ったと
きにどう意思決定をするか、というものだ。結局のとこ
ろその答えは書いてなく、自分の価値観と照らし合わせ
て...とか、その状況によって...とか、うまく妥協して
...というものではあるのだが。


この「正しいことと正しいことの選択」というのが面白
い。例えば、「正しいことと間違っていることの選択」
これは簡単だ。まぁ、企業の中にいれば、誰もができる
というわけではないが、最終的には善悪の問題になる。
「目先の業績を重視して社員を酷使して働くこと」と
「社員のモチベーションの維持に努めること」というよ
うな場合は、そりゃ後者だよ、といえるわけだ。


でも、この「正しいことと正しいこと」という場合はそ
ううまくはいかない。例えば、火事が起こっていて、燃
えている家の中には部屋が2つある。片方の部屋には子
どもが3人いて、もう片方には子どもが1人いる。どちら
かの部屋にしか助けに行くことはできない。このときに
どうするか?「最大幸福の原理」に従えば、人数の多い
3人を助けに行く、と回答することができる。でも、も
しこのとき、1人でいるほうの子どもがあなたの子どもだ
ったら?というのがこの状況だ。必ずしも「3人を助けに
行く」と即決はできない話だ。


別の例は、現代の世界にはあまり当てはまりにくいが、
「妻を愛すること」は正しい。「モノを盗むこと」は間
違っている。でも、もし妻が病気に犯され、自分にはお
金も頼る人もなく、薬を盗まないと妻は助けられない、
という状況になったとき。間違ったことをしない、と誓
って薬を盗まなければ、妻は苦しみながら死ぬことにな
る。でも、妻を助けるためといって薬を盗んできたら、
それは罪となる。このとき、あなたはどうするか?とい
うことだ。必ずしも善悪だけで答えられないと思う。


大切なことは、正しいことと正しいことの選択に陥った
としても、そのときの自分を客観視し、意思決定を行う
ことだと思う。